米の自由化 2021.10.20 小林 勝
小沢一郎さん 米 こめ を自由化で暗躍 あんやく
衆議院選挙が10月19日に公示され、10月31日に投票されます。
私の郷里、岩手県奥州市 おうしゅうし (旧)水沢市 みずさわし の選挙戦の模様が報道されています。
立憲民主党の小沢一郎 おざわいちろう さん、公示日の地元入りは初当選時以来とのことです。
小沢 佐重喜さん、椎名 悦三郎さん
中選挙区時代の (旧)岩手2区は、自民党の小沢佐重喜 おざわさえき さん、椎名悦三郎 しいなえつさぶろう さんの地盤でした。田んぼや胆沢ダム いさわだむ などに代表される「土地改良区」と「たばこ栽培」の農村票の票田を二人で住み分けていて、農村票を牛耳って ぎゅうじって いました。私の父親は、椎名悦三郎さんの後援会に入っていましたので、後援会ニュースが送られてきていました。おかげで私も、後援会ニュースを読みながら政治の世界を垣間見ることが出来ました。椎名悦三郎さんも、当時の胆沢郡水沢町の出身です。血縁はないですが、叔父が後藤新平です。
北山 愛郎さん
社会党からは、北山愛郎 きたやまあいろう さんが国会議員をしていました。(中国の貿易統制機関で働き、戦後引き揚げで社会党結成に参加。出身地の花巻市長を2期務めました。1953年の衆院戦で岩手2区から左派社会党公認で出馬。1983年の衆議院選で落選するまで通算10期務めました。) 国民服(中国の人民服)で国会に登壇していました。
小沢 一郎さん
小沢一郎さんは、小沢佐重喜さんの二世議員として安定的な選挙戦を展開しています。
小沢一郎さんは、今でこそ立憲民主党に所属していますが、もともとは自由民主党の幹事長でした。(1989年~1991年) 幹事長時代の小沢さんは、米輸入の自由化交渉で暗躍しました。自民党政権がレールを敷き、「非自民」の細川護熙政権が1993年に米輸入自由化を受け入れました。そして、村山富市政権が1994年に国会でWTO協定承認を強行、というのが流れです。
(旧) 水沢市
(旧)水沢市は江戸時代・幕末の蘭学者の 高野長英 たかのちょうえい に始まり、東京市長を務めた大風呂敷の 後藤新平 ごとうしんぺい、昭和11年の2・26事件で軍部の一部のクーデター事件の凶弾に倒れた 斎藤實(さいとうまこと/1858年~1936年。5・15事件の難局で75歳で内閣総理大臣に就任。79歳でクーデターの凶弾に倒れました。)を生んだ地です。地元では、三賢人と呼んでいます。「柳あをめる北上」(石川啄木 いしかわたくぼく) の北上川 きたかみがわ が流れています。啄木が読んだ北上川は、上流の「玉山村渋民 たまやまむらしぶたみ」の北上川ですので、下流の水沢を流れる北上川ではありませんけど。
緯度観測所、えさし藤原の郷、母が生まれた江刺、鋳物工場、水沢競馬場、県立黒沢尻工業高校、しんしんと降る雪
水沢には、緯度観測所があります。NHKの大河ドラマ第32作の「炎立つ ほむらたつ」(炎立つは、1993年7月4日から1994年3月13日まで放映されました。原作は、高橋克彦 たかはしかつひこ さん。) のロケに使われたテーマパーク「えさし藤原の郷 えさしふじわらのさと」(1993年7月4日開園。奥州藤原氏の祖先である藤原経清、平泉を創設した藤原清衡が居住した豊田館跡地付近に造られました。平泉の金色堂 こんじきどう を模した鞘堂 さやどう のない金色堂、京都・宇治の平等院を真似した無量光院 むりょうこういん を模した縮尺1/4の無量光院) もあります。江刺 えさし は、私の母親の出生地です。
私が生まれた(旧)水沢市羽田町 はだちょう は南部鉄器の工場 こうば が立ち並んでいます。いわゆるキューポラのある町です。高校生の頃に工場でアルバイトをやったことがあります。鋳物 いもの でできた南部鉄器や南部風鈴に黒染め(漆 うるし の樹液を鋳物の表面に塗り、鉄が錆びない さびない ようにします。)をしました。なんと、アルバイトを勤めた工場の経営者の息子さんが同じ県立黒沢尻工業高校の先輩でした。エッその先輩、番長さんでした。ケン坊と呼ばれていて、ニキビ顔の親しみやすい人でした。
競馬場が、水沢と盛岡にあります。 秋田側に奥羽山脈があるため、雪はそれほど深くはありません。30センチも降れば大雪でした。もちろん、11月中旬の初雪に始まり、お正月の後や寒 かん の頃に降った大雪が寝雪 ねゆき となって3月頃まで残ります。夜中に布団の中で眠っていると、しんしんと雪の降る音が聞こえてきます。北上 きたかみ と秋田の横手 よこて を結ぶJR北上線((旧) 横黒線 おうこくせん/北上は黒沢尻町と呼ばれていましたので、横手と黒沢尻を結ぶ線)の途中にある和賀仙人 わがせんにん や 沢内 さわうち あたりだと奥羽山脈そのものですので、2mも積もって屋根の雪下ろしをしないと家がつぶれてしまいかねません。
妹が学校の先生をしていて、岩手県内の学校を転々と転勤がありました。沢内に赴任 ふにん した時、官舎のアパートの屋根の雪下ろしを近所の皆さんがやってくれていたそうです。横手出身の先生と知り合って結婚しました。
第一声を終え、有権者とあいさつする小沢候補=19日午前10時20分ごろ、奥州市水沢
<参照・引用/Yahoo! 河北新報2021.10.20> 2021.10.20 小林 勝
小沢氏が地元で第一声 岩手3区、1969年の初当選以来
Yahoo! 河北新報 10/20(水) 6:00配信
衆院岩手3区で連続18選を目指す立憲民主党前議員の小沢一郎候補(79)は19日午前10時すぎ、岩手県奥州市水沢の中心部で第一声を上げた。公示日の地元入りは異例で、1969年の初当選以来とされる。「野党も私も大変厳しい選挙。皆さまのお力をお借りしたい」と呼び掛けた。約300人を前にした演説では、自民党と野党の理念の違いを説いた。「自民党政権で格差は広がった。野党はセーフティーネットをつくった上での自由競争。根本的な違いを主張しないといけない」と述べた。農業政策にも触れ「米価の下落はコロナだけが原因じゃない。自民党の農業軽視のせいだ」と力を込めると、聴衆から「そうだ」と声が飛んだ。 長年の支持者という岩手県金ケ崎町の農業男性(75)は「79歳だが、若くて元気な姿に感動した。政権交代を目指して頑張ってほしい」と期待した。